宇都宮城:下野の国の名門宇都宮家が治め関東七名城にも数えられる宇都宮城【お城特集 日本の歴史】

宇都宮城/アクセス・場所・地図 下野の国の名門宇都宮家が治め関東七名城にも数えられる宇都宮城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
宇都宮城

【城の説明】
宇都宮城は栃木県宇都宮市にあった城で関東七名城の一つに数えられている。
前九年の役の際に「藤原円宗」が源義家に従い奥州遠征に赴き、その武功により現宇都宮市内及び鬼怒川周辺の土地を与えられたとされる。その後、代々宇都宮氏がこの地を治め室町時代、安土桃山時代を迎え北関東の中心となる。

戦国時代に入ると北条氏政・氏照や家臣の皆川氏、壬生綱房などの侵攻を受け一時は城を奪われてしまう。しかし、1557年には家臣の「芳賀高定」の奮戦により宇都宮城を奪還し城を取り戻している。

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天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では豊臣方につき本領下野国18万石を安堵されている。宇都宮家当主の宇都宮国綱は朝鮮出兵にも参戦していたが突如お家改易とされてしまう。

その真相は定かではないがこれにより長い歴史を誇る宇都宮氏の時代は終焉を迎えた。宇都宮城には「蒲生秀行」が18万石で入城し、その後は「奥平家昌」「本多正純」と城主が変わり江戸期を通じて多くの城主が入れ代わる。

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幕末時には戸田氏がこの地を治め、明治を迎えることとなる。なお、豊臣秀吉が逝去し徳川家康と石田三成との間で勃発した「関ヶ原の戦い」や「大坂夏の陣」にも宇都宮国綱は徳川方へつかなかったため家名が再興されることはなかった。

【宇都宮城・場所・アクセス】
〒320-0817 栃木県宇都宮市本丸町1-15






【宇都宮城地図】



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