龍岡城(五稜郭):日本に二つある星形西洋式城郭の一つ龍岡五稜郭【お城特集 日本の歴史】

龍岡城(五稜郭):日本に二つある星形西洋式城郭の一つ龍岡五稜郭【お城特集 日本の歴史】

【城名】
龍岡城(五稜郭)

【城の説明】
龍岡城(たつおかじょう)は長野県佐久市にあった洋式城跡である。ここには龍岡藩松平家の藩庁が置かれていた。日本に二つある星形の西洋式城郭のうちの一つであり、もう一つの西洋式城郭である五稜郭(函館)と区別するため「龍岡五稜郭」とも呼ばれている。

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信濃と三河に領地を持つ三河奥殿藩の藩主だった「松平乗謨(まつだいらのりかた)」は、幕末の動乱期に拠点を田野口に移すことを決める。開明派だった乗謨は、洋式築城での設計を幕府に届け出て許可を得る。また、乗謨は幕末の混迷期に幕府の老中格・陸軍総裁の要職にあった。

※明治時代に入ると乗謨は、佐野常民とともに博愛社(現:赤十字社)の設立に尽力している。

元治元年(1864年)、築城を開始したが完成前に明治維新を迎えてしまった。龍岡城はフランス式の稜堡を取り入れているものの、胸壁が低く水堀も狭く、砲台も西方に一門しか無かったと言われている。

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五稜郭内郭の中央に藩主宅と政庁があり、正門、通用門はそれぞれ東北、東南に、非常門は西北と南南東に設けられていた。稜堡式の石垣や水堀、御台所(櫓)が現存している。明治4年(1871年)、明治政府が全国の城郭の取り壊しを命じ「龍岡五稜郭」も廃城となる。


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廃城後、城内のほとんどが農地転用された。大手門前には佐久市歴史の里「五稜郭であいの館」があり龍岡城に関する資料を展示している。現在の龍岡城は国指定の史跡に指定されている。

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【龍岡五稜郭・場所・アクセス】
〒384-0412 長野県佐久市田口3000

【龍岡五稜郭地図】



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