【城名】
徳島城
【徳島城の説明】
徳島城は吉野川の中州とその周辺からなる城郭跡である。鎌倉時代に伊予の国河野家の支配の及ぶ地であったが、室町時代になると細川頼之が勢力をもつようになり現在の位置に徳島城の基礎を築いた。
戦国時代に入ると細川家の重臣「三好長慶」が阿波・讃岐・近畿地方に勢力をはっていたが、右筆から三好家重臣にまで成りあがった「松永久秀」に取って代わられた。
一方、土佐から勢力拡大を図る「長宗我部元親」に阿波・讃岐は統一されてしまった。1585年(天正13年)、豊臣秀吉が四国征伐の軍を起こすと長宗我部元親は防戦一方となり降伏を申し出た上で土佐一国だけを安堵された。
四国征伐の論功行賞が行われると阿波一国18万石が「蜂須賀家政(蜂須賀小六の長子)」に与えられた。以後、江戸期を通して明治維新に至るまで蜂須賀家がこの地を治めた。
明治時代に入ると廃城令が発令され徳島城も廃城となり現在の徳島中央公園として整備された。なお、徳島城は日本100名城に指定されている。
【徳島城・場所・アクセス】
〒770-0851 徳島県徳島市徳島町城内
【徳島城地図】
コメント
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天守ほか、隅櫓などがないのが残念です。一部でも復元させて欲しいと思います。