松江城:山陰地方の中心地で堀尾吉晴・京極氏・松平氏と続いた日本100名城 松江城 【お城特集 日本の歴史】

松江城:山陰地方の中心地で堀尾吉晴・京極氏・松平氏と続いた日本100名城64番 松江城 【お城特集 日本の歴史】

【城名】
松江城

【城の説明】
松江城は、島根県松江市殿町にある平山城で別名・千鳥城とも呼ばれている。天守が現存し、国の重要文化財に指定されており城跡自体は国の史跡に指定されている。日本100名城第64番としても認定されている。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、月山富田城に24万石で入城した。しかし、元々尼子氏の居城であった「月山富田城」は中世の山城であり近世城下町形成には不向きであったので、末次城跡を近世城郭の候補地とした。

慶長12年(1607年) には末次城のあった亀田山に築城を開始する。そして、慶長16年(1611年)の 冬に松江城を完成する。(堀尾吉晴はこの年の6月に完成目前になって急死している)寛永10年(1633年)には堀尾忠氏の跡を継いだ堀尾忠晴が没する。この時、嗣子がないことから堀尾氏は3代で改易となった。

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寛永11年(1634年)には「京極忠高」が若狭国小浜藩(若狭・越前敦賀郡)より出雲・隠岐両国合わせて26万石で入封する。この京極氏が城主であった時に現在の三の丸が整備され松江城の全要が出来上がる。寛永14年(1637年)には京極忠高に嗣子がないまま没したため、京極氏は一時廃絶になる。(のちに四国の丸亀にて再興される)

寛永15年(1638年)には信濃国松本藩より松平直政が18万6千石で入封し、以後、明治維新まで松平家がこの地をおさめた。江戸時代には出雲地方の経済の中心地として大いに栄えた。しかし、明治期になり松江城は廃城となり撤去された。

昭和35年(1960年)に本丸の一部が復元され、平成6年(1994年)に三ノ丸と二ノ丸を結ぶ廊下門と北惣門橋が復元された。平成12年(2000年)には二ノ丸の建造物として、南櫓と塀の一部平成13年(2001年)には中櫓・太鼓櫓と塀の一部が、それぞれ復元された。

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城跡は現在、松江城山公園として利用されている。また、松江城は唯一江戸時代初期建造の天守を有する城跡であり、山陰地方の現存例としては松江城だけである。さらに松江市では大手門復元に向けて古図面や古写真などの史料を探している。

※写真は日本100名城64番松江城
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【松江城・場所・アクセス】
〒690-0887 島根県松江市殿町1-5

【松江城地図】



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