【城名】
信貴山城
【城の説明】
信貴山城は生駒山の系統の信貴山にあった山城である。
もともとは「木沢長政」の居城だったが「太平寺の戦い」で討ち死にすると永禄2年(1559年)に「松永久秀」が城を修復し大規模な城郭にした。
松永秀久がもとは「三好長慶」の祐筆からのしあがった逸材で徐々に大和の国を支配下に治めていった。その後、大和南部の抑えとして「多門山城」を築きその地盤を強固にしていった。
永禄11年(1568年)には「筒井順慶」「三好三人衆」の連合軍に信貴山城は囲まれついに落城してしまう。しかし、久秀は京都へ上洛戦を展開している織田信長にいち早く臣従し、大和の国切り取り次第というお墨付きをもらうことに成功する。
これにより大和の国は「松永秀久」が治めていたが、織田信長に従うことに嫌気がさし一度目の離反で「多門山城」を差し出し、二度目の離反でついに信貴山城は落城する。
この落城により信貴山城は廃城となってしまう。
【信貴山城・場所・アクセス】
〒636-0923 奈良県生駒郡平群町信貴山1308
【信貴山城地図】
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。