【城名】
備中高松城
【城の説明】
備中高松城は「羽柴秀吉」から水攻めの攻撃を受けたことで有名な城である。世に言う「高松城水攻め」である。高松城は現在の岡山県岡山市北区にあった城で、当時は城の周りが泥や沼などの湿地帯で難攻不落と言われた城であった。
城主である「清水宗治」は秀吉からの降伏勧告を一切受け付けず、あくまで毛利家に忠誠を尽くした。しかし、黒田官兵衛の献策と言われる水攻めにより城は水没し、ついに「宗治」は自身の命と引き換えに兵士や領民の助命を願い切腹した。
この時、中央では「本能寺の変」が勃発しており秀吉の主君である「織田信長」は明智光秀によりすでに討たれていた。秀吉は主君の仇を討つべく毛利家との和睦を急ぎ、すぐさま中央に取って返した。(中国大返し)
そして、「山崎の戦い」にて明智光秀を討ち滅ぼし事実上「信長」の後継者として名乗り出る。一方「高松城」は毛利家との和睦後「宇喜多領」となり「花房正成」が城主に収まった。慶長5年(1600年)には「関ヶ原の戦い」が勃発し「花房職之」が新たな城主に任命された。しかし、一国一城令が発令されると備中高松城は廃城となってしまった。
現在の城跡には秀吉が築いた堤防跡や「宗治自刃の碑」「首塚」などが残されている。「史跡公園」として堀や土塁などが整備され国の史跡に指定されている。
【備中高松城・場所・アクセス】
岡山県岡山市北区高松558-2
【備中高松城地図】
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