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【城名】
躑躅ヶ崎館(武田神社)
【城の説明】
躑躅ヶ崎館(武田神社)は甲斐の国守護の武田氏の館である。現在の山梨県甲府市古府中にあった中世型造りの館であり、武田氏の領国経営の中心地であった。元々は甲府盆地石和にあった館を「武田信昌」の時代に躑躅ヶ崎館へ移り城下町を形成した。
永正16年(1519年)頃に当時の武田氏当主「武田信虎(信玄の父)」が甲斐一国を統一しその地位を盤石なものにした。武田氏の基本方針は外敵からの侵入を国境付近で防ぐという形をとり、本拠地には本格的な城を築かなかった。
その代わり裏山に要害山城という城を築きその守りを固めた。武田氏は戦国時代の当主「武田信玄」の代に甲斐・信濃・上野・駿河・遠江・三河の一部にまで勢力を広げた。信玄没後の武田家は、信玄の孫「信勝」が跡を継ぎその後継者として「武田勝頼」が国を治めた。
天正10年(1582年)には織田信長・徳川家康・北条氏政らの連合軍から同時に攻め込まれ、ついに武田家は滅亡した。ほどなく「本能寺の変」により織田信長が明智光秀から討たれると、甲斐・信濃・駿河は徳川家康が領することとなり、躑躅ヶ崎館は廃城となった。
しかし、甲斐一国を支配する上で拠点となる城が必要とのことから新たに甲府城が築かれた。甲府城が完成するとこの地方の領国経営は甲府城が中心となり、躑躅ヶ崎館は忘れられた存在になった。現在の躑躅ヶ崎館は土塁や堀が整備・復元され当時の面影を取り戻しつつある。
なお、躑躅ヶ崎館は日本100名城24番に選定されている。
【躑躅ヶ崎館(武田神社)・場所・アクセス】
山梨県甲府市古府中町2611
【躑躅ヶ崎館(武田神社)地図】
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