月山富田城:尼子経久から晴久まで続いた山陰の勇尼子氏 月山富田城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
月山富田城

【城の説明】
月山富田城は山陰地方を中心に勢力を誇った尼子氏の居城である。現在の島根県安来市広瀬町富田に所在した城で月山山頂付近に本丸があった。戦国時代の尼子氏は「尼子経久」の時代にその基盤を固め、嫡孫「尼子晴久」の代に大大名へと変貌を遂げた。

月山富田城:尼子経久から晴久まで続いた山陰の勇尼子氏 月山富田城【お城特集 日本の歴史】

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山陰・山陽にまで及ぶ八ヶ国の守護となりその繁栄はその後も続くかのように見受けられた。しかし、永禄3年(1560年) 尼子晴久が急死し、義久が家督を継ぐと急速に力をつけてきた安芸郡山城の「毛利元就」による攻撃が始まった。

尼子氏は長い間籠城戦を行ったが最後は城主「義久」が降伏・開城し毛利元就が治める地となった。その後、毛利家と織田家との間で戦が起こり織田家に客将として迎えられていた「尼子勝久」「山中鹿之助」らが尼子家再興を目指して月山富田城へ攻め寄せるが毛利方はこれを撃退した。

天正10年(1582年)本能寺の変により織田信長が、家臣である「明智光秀」により討たれると中国地方司令官として毛利家と戦闘状態にあった「羽柴秀吉」は早々に毛利家と和睦を図り明智討伐軍を起こした。

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両軍は現在の京都府山崎で戦い羽柴秀吉が勝利し事実上の天下人となった。羽柴秀吉は「豊臣秀吉」と名を変え関白となり豊臣政権が発足するも、秀吉の死と共に「徳川家康」が台頭し新たな政権を樹立しようとしていた。慶長5年(1600年)になると豊臣方の石田三成(西軍)と徳川家康(東軍)との間で天下分け目の戦「関ヶ原の戦い」が勃発。

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これに打ち勝った家康は論功行賞を行い、豊臣家家臣だった「堀尾吉晴」が出雲・隠岐23万5千石を拝領する。この堀尾氏の時代に月山富田城は大改修が行われ近代城郭へと変貌した。しかし、堀尾忠晴が跡を継ぐと新たに「松江城」を築きこれを本拠とし月山富田城は廃城となった。

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月山富田城は月山山頂付近に本丸・二の丸・三の丸があり、段築と呼ばれる独特の石垣が建造されていた。また、本丸と二の丸の間には深い堀切が造られていた。現在の月山富田城は国指定の史跡となっており日本100名城65番にも選定されている。






【月山富田城・場所・アクセス】
〒692-0403 島根県安来市広瀬町富田

【月山富田城地図】





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