【城名】
墨俣城
【城の説明】
墨俣城は現在の岐阜県大垣市にあった城である。墨俣の地は美濃の斎藤家、尾張の織田家にとってとても重要な地であった。このため、この地で幾度となく戦が行われている。この地を一躍有名にしたのが「木下藤吉郎」による「墨俣の一夜城」であるが、これには多くの異論や議論が交わされている。
墨俣の地は斎藤家の領地内であるだけでなく、川岸なので土壌が弱く、杭や柵などを固定するのが困難だった。この築城を織田家重臣である「佐久間信盛」「柴田勝家」らが任命されたがどちらも成功しなかった。
信長がこの築城の人選に苦悩していたところに当時の木下藤吉郎が手を挙げたというわけだ。藤吉郎は予め柵や櫓の一部を組み立てておき、これを長良川上流から密かに流し築城地点まで運びあげた。
その上で昼夜を問わず突貫工事を続けた結果墨俣城の基盤が出来、それと気づいた斎藤勢が攻撃を仕掛けた時にはすでに時期を失っていたという。こうして今や伝承とも言われている「墨俣の一夜城」が出来上がったと伝わる。
斎藤家でもこの地の重要性が高いことから城を築城し、この城には斎藤家の一族「斎藤利為」などが城主をつとめている。どちらにせよ墨俣には戦国時代に城があったことは確かなようである。現在の墨俣城跡は「一夜城跡公園」として整備されており、公園内には「模擬天守」が建てられている。史実に基づいた天守ではないが「墨俣一夜城歴史資料館」として利用されている。
【墨俣城・場所・アクセス】
〒503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
【墨俣城地図】
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