- お城・城跡, 戦国時代, 日本100名城
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【城名】
掛川城
【城の説明】
掛川城は現在の静岡県掛川市にあった城である。室町時代に遠江の国の守護職今川氏が家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが始まりとされている。その後今川氏による支配が続いたが、戦国時代に入ると甲斐の武田信玄・三河の徳川家康によって今川家は滅ぼされてしまった。
これにより駿河の国を武田家が、遠江の国を徳川家が領することになる。その後しばらくは家康の家臣「石川家成」が城代として任命されていたが、世の中が豊臣秀吉の天下になると家康は北条家が支配していた関東八州へ移封となる。
これに伴い家康の領地であった三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五ヶ国は秀吉恩顧の大名に振り分けられた。この時「掛川城主」5万石に任命されたのが後に土佐一国の太守となる「山内一豊」である。現在の城郭に整備したのは山内一豊時代とされている。
江戸時代の掛川城主はめまぐるしく変わり、「久松氏」「青山氏」「松平氏」「本多氏」「松平氏」「北条氏」「井伊氏」「小笠原氏」へと移った。最後は「太田氏」が城主として明治維新を迎えている。明治時代になると「廃城令」が全国に発令され掛川城も破却された。現在の天守は木造で建立された珍しい「木造復元天守(三重四階)」であり、また、掛川城は日本100名城42番に選定されている。
【掛川城・場所・アクセス】
〒436-0079 静岡県掛川市掛川1138−24
【掛川城地図】
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