【城名】
笠間城
【城の説明】
茨城県笠間市にあった笠間城は下野国の宇都宮氏の一族が入城し笠間氏を名乗ったのが始まりである。鎌倉時代からこの地を治め5代目当主「泰朝」の時に、同じ常陸国の名門佐竹氏から攻められ籠城戦の末、辛くも危機を脱した。
その後笠間氏は戦国時代を生き残り、18代当主「綱家」と時に豊臣秀吉による北条征伐(小田原征伐)が行われている。綱家は本家「宇都宮氏」が豊臣家に属したのに対し、あくまで北条氏側についたため小田原戦の後宇都宮氏から攻められて落城している。このため一時は宇都宮氏が治める城となる。
会津の蒲生氏が宇都宮へ転封されると一族の「蒲生郷成」が笠間城主に赴任し、この時に大きな普請や改修が行われたと言われている。慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」の後には松平氏が入封し、その後はめまぐるしく城主が変わることになる。
小笠原氏(改易)・松平氏・永井氏・浅野氏・井上氏・本庄氏・井上氏と城主が入れ替わり、「牧野貞通」が城主に任命されて以降野氏が8代にわたりこの地を領した。
江戸時代末期の戊辰戦争では本家の「越後長岡藩」が奥羽列藩同盟に加わる中、本家家老の「河井継之助」が各分家を一同に集め本家と運命を共にすることはなく、各々の道を進むよう進言したと言われている。
笠間牧野家では新政府軍につき明治維新を無事にやり過ごした。笠間城は明治の廃城令により城郭が取り壊されたが、佐白山麓公園として整備され石垣や堀などの遺構が現在も残されている。
【笠間城・場所・アクセス】
〒309-1611 茨城県笠間市笠間3616
【笠間城地図】
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