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忍城を籠城死守した成田長親(のぼうの城 主人公)の末路とは?
いよいよ豊臣秀吉が関東の北条氏政・氏照攻め(小田原征伐)を開始した時、武蔵の国忍城の成田氏は当主の氏長が小田原城へ援軍として入城し、従兄弟の長親が忍城を守ることとなる。
長親は兵士500と近郷の農民合わせて約3000人にて籠城戦を決断。
攻め手は秀吉の側近中の側近、石田三成を大将とする関東の諸将約2万であった。
しかし、城のまわりが水田や沼地であるため、攻め手はこの城を攻めあぐねた。
そこで三成は秀吉が備中高松で行った水攻めを再現することを決断する。
順調にいったかに見えたこの水攻めは堤防が決壊するということで大失敗に終わる。
そうこうしているうちに北条氏の本拠である小田原城が開城・降伏となり、忍城の成田一族も城を出て会津の蒲生氏郷に預けられることとなった。
当主である氏長は蒲生氏郷に従いその後の戦で戦功を重ね、烏山城2万石を拝領し大名に復帰することが出来た。
一方、氏長とは別の道を歩んだ成田一族は忍城に戻り、城主である「松平忠吉」に仕えるものもいた。
【関連記事】
※成田氏が大名に復帰した烏山城跡
https://www.jp-history.info/castle/1959.html
この中に「のぼうの城」で巧みな籠城戦を演じた成田長親の嫡子の姿もあった。
長親は隠棲し嫡子に従い、松平忠吉が尾張へ移封になるとこれに従い尾張へ移住した。
そのまま平穏無事に尾張の国で安らかな生活を営んだそうである。
【忍城住所】
〒361-0052 埼玉県行田市本丸17-23
【忍城地図】
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2017年 2月 14日
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