■ 日本の歴史ブログ
東京の住宅街にある城跡とは?
世田谷城は吉良氏(吉良治家)が世田谷郷を与えられた時に館として整備された城である。
その後代々吉良家が治める城として栄えたが戦国時代に入り、吉良氏朝が「北条氏政」に味方をしたため豊臣軍に接取された。
徳川家康が江戸に城を構えると世田谷城は廃城となり石垣や木材は江戸城築城に用いられた。
そのまま城跡として残してあったが近年、世田谷の住宅街に「世田谷城跡公園」として整備され残されている。
吉良氏は戦国時代、全国に以下の3氏があったとされている。
・三河吉良氏。
・武蔵吉良氏。
・土佐吉良氏。
なお、江戸中期忠臣蔵で有名な「吉良上野介義央」は三河吉良氏の出であり、武蔵吉良家とは無関係である。
【世田谷城地図】
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