宇土藩(熊本藩支藩)/細川家3万石:細川行真 高瀬藩と共に本藩に従い新政府軍として従軍した宇土藩【幕末維新写真館】

宇土藩(熊本藩支藩)/細川家3万石:細川行真 高瀬藩と共に本藩に従い新政府軍として従軍した宇土藩【幕末維新写真館】

【藩名】
宇土藩(熊本藩支藩)

【説明】
宇土藩は熊本藩の支藩で藩庁は宇土(宇土市)に陣屋が置かれた。 正保3年(1646年)熊本藩2代藩主「細川光尚」の従兄弟「行孝(初代忠利の弟・立孝の子)」が宇土郡・下益城郡に3万石を分与された。そして「本町筋南側(新小路町)」の一角に陣屋を構えた。

※本丸跡
宇土藩(熊本藩支藩)/場所・アクセス・地図 細川家3万石:細川行真 高瀬藩と共に本藩に従い新政府軍として従軍した宇土藩【幕末維新写真館】

※小西行長像
宇土藩(熊本藩支藩)/場所・アクセス・地図 細川家3万石:細川行真 高瀬藩と共に本藩に従い新政府軍として従軍した宇土藩【幕末維新写真館】

江戸期を通じて熊本藩支藩として存続し、慶応元年(1865年)には学問所である樹徳斎を創立して学問を奨励した。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では高瀬藩と共に新政府軍に与して大原口警備を務めた。明治3年(1870年)熊本藩に合併し廃藩となった。江戸藩邸は永田町に上屋敷、愛宕の下に中屋敷、白銀猿町に下屋敷があった。

【場所・アクセス・地図】
〒869-0424 熊本県宇土市神馬町280










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