【藩名】
小城藩
【説明】
小城藩は立藩の時期は諸説ありはっきりしないが、江戸時代初期に初代佐賀藩主「鍋島勝茂」の長男「元茂」が肥前藩領内の佐嘉郡・小城郡・松浦郡において7万3000石を与えられたことに始まると伝わる。元茂は長男であるが勝茂の後添えの正妻(徳川家康の養女・菊姫)の子で四男の忠直が佐賀藩の嫡子となった。しかし、忠直は早世したためその長男「光茂」が第2代佐賀藩主となっている。
小城藩は当初、佐賀城西の丸を政庁としたが、第2代藩主「直能」の時に小城(佐賀県小城市)に陣屋を構えた。第3代藩主「鍋島元武」は第5代将軍「徳川綱吉」に重用されて幕政に参加した。しかし次第に藩財政が悪化し、第7代藩主「鍋島直愈」の時代にはあまりの逼迫さに幕府の怒りを買って処罰されている。
第9代藩主「鍋島直堯」は、文化13年(1816年)に肥前藩から独立して城主格となることを望んだが、肥前藩より却下された。小城藩は便宜上は佐賀藩の支藩であるが本家や他の支藩とは仲が悪かったようである。
慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では新政府軍に与して秋田の戦いなどで武功を挙げ、その恩賞として明治2年(1869年)8月に5000両を与えられた。それより2ヶ月前の6月には「版籍奉還」により最後の藩主「鍋島直虎」は小城藩知事となり、明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」で免官されている。
明治4年(1871年)、廃藩置県により小城県となる。その後、伊万里県・佐賀県・三潴県・長崎県を経て佐賀県に編入された。
【場所・アクセス・地図】
〒845-0001 佐賀県小城市小城町178-14
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