平戸新田藩(平戸藩支藩)/松浦家1万石:松浦脩 新政府の要請により上洛し恭順【幕末維新写真館】

平戸新田藩(平戸藩支藩)/場所・アクセス・地図 松浦家1万石:松浦脩 新政府の要請により上洛し恭順【幕末維新写真館】

【藩名】
平戸新田藩(平戸藩支藩)

【説明】
平戸新田藩は平戸藩の支藩で、藩庁は館山(長崎県平戸市)に陣屋を構えた。平戸館山藩とも言われている。元禄2年(1689年)、平戸藩5代藩主棟の弟「昌」が1万石を分与され平戸新田藩が立藩された。

文久3年(1863年)3月15日、幕府から本藩とともに対馬藩の支援を命じられる。同年8月、上洛し、孝明天皇に拝謁し、元治元年(1864年)7月には従五位上に昇進する。明治元年(1868年)10月、新政府による諸藩上洛の命が下るが、病気のために息子「豊」を上洛させることで新政府から許可された。

明治3年(1870年)9月に本家の平戸藩と合併したため、平戸新田藩は廃藩となった。

【場所・アクセス・地図】
〒859-5152 長崎県平戸市鏡川町12










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