【藩名】
丸亀藩
【説明】
万治元年(1658年)、山崎氏は3代で断絶し改易となり代わって「京極高和」が播磨龍野より入封する。丸亀藩は、讃岐国(香川県)の西部を領し丸亀城を本城とした藩である。江戸期を通じて京極氏がこの地を統治し続けた。
幕末の動乱期には尊王派として行動し、御所警備のためにたびたび出兵した。慶応4年(1868年)の「鳥羽・伏見の戦い」では丸亀藩の隣藩の高松藩が朝敵となったため、新政府の命令で土佐藩と共に高松藩追討にあたった。しかし高松藩主「松平頼聰」から新政府に対して赦免を嘆願してもらうように仲介を依頼され、新政府に取り次いで頼聰を赦免させている。
明治2年(1869年)2月に諸藩に先駆けて「版籍奉還」を願い出て、藩主「京極朗徹」は3月19日に丸亀藩知事に任じられる。その後、藩士の知行削減などの改革を行なった。明治4年(1871年)3月には諸藩に先駆けて「廃藩置県」を願い出て、4月10日に丸亀藩は廃藩となった。
その後丸亀県となり、朗徹は丸亀県知事に任じられた。しかし4ヵ月後の8月15日に県知事を辞職して東京へ移った。
【場所・アクセス・地図】
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