吉永藩/加藤家2万石:加藤明友 加増の上水口藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

吉永藩/場所・アクセス・地図 加藤家2万石:加藤明友 加増の上水口藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】
吉永藩

【説明】
吉永藩は「加藤明友」が近江水口藩に転封する前に治めていた藩である。島根県大田市周辺で1万石を領有し吉永に陣屋を構えた。寛永20年(1643年)5月、父「加藤明成」が陸奥会津藩40万石を没収されたが祖父「加藤嘉明」の勲功により家名存続を許され立藩した。

しかし40万石を領する大藩から1万石の小藩にまで成り下がったため、家臣団の縮小などを余儀なくされ、藩財政は一気に悪化した。このため水口藩に移封された後も、特に税率の高い地域になったといわれている。

明成の死後、家名は「加藤明友」が相続し、天和2年(1682年)6月に1万石を加増された上で水口藩に転封となった。このため吉永藩は廃藩となって幕府が管理する石見銀山領となった。

【場所・アクセス・地図】






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