【藩名】
福本藩
【説明】
福本藩は現在の兵庫県神崎郡神河町福本に藩庁を置いた藩である。寛文3年(1663年)、「池田政直」に対して播磨国内にて神東郡・神西郡・印南郡1万石が与えられ福本藩が立藩された。寛文5年(1665年)、政直は嗣子なく没したため遺領は政直の弟である政武に7000石と政済には3000石が分与され旗本となった。
このうち福本7000石の領主となった政武は、交代寄合の格式となった。貞享4年(1687年)に政武が没すると、嗣子の政森に6000石と次男の政親には1000石が分与された。第7代当主「池田喜通」は安政2年(1855年)藩校「乾々館」を開き、文久3年(1863年)の「生野の変」鎮圧や元治元年(1864年)の第一次長州征伐に参加して功績を挙げている。慶応4年(1868年)6月には鳥取藩から蔵米3500石を与えられ、石高直しにより10573石となり、再び大名家となった。
同年に勃発した「戊辰戦争」では新政府軍に協力して姫路藩攻めに参加した。明治2年(1869年)に藩校は移設され名も「時習館」と改称された。明治3年(1870年)、藩主「池田徳潤」は福本藩知事となるが、同年11月に藩財政困窮のため鳥取藩に併合され廃藩となった。
【場所・アクセス・地図】
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