【藩名】
津藩(安濃津藩)
【説明】
慶長13年(1608年)8月24日、「富田信高」は伊予宇和島藩に移封され、翌日の8月25日には伊予今治藩10万石から藤「堂高虎」が22万石に加増された上で入封した。(伊予越智郡今治2万石、伊賀国内10万石、伊勢安濃郡、一志郡内10万石で計22万石)
慶応4年(1868年)1月の「鳥羽・伏見の戦い」では当初は幕府側であったが、急遽山崎高浜砲台の津藩守備隊が官軍側を支援し、対岸の幕軍砲台を砲撃するなど新政府軍の勝利に大きく貢献した。幕府側の将兵からはこの裏切り行為を深くなじられた。その後、津藩兵は「戊辰戦争」で東海道の先鋒となり、函館戦争にまで藩兵を派遣して旧幕府軍と戦った。
明治2年(1869年)の「版籍奉還」で「藤堂高猷」は津藩知事に任じられる。明治4年(1871年)6月28日、高猷は隠居し、第12代藩主と津藩知事には「藤堂高潔」が就任したが、直後の「廃藩置県」で津藩は廃藩となり安濃津県となった。1872年(明治5年)に三重県と改称され、1876年(明治9年)には三重県に編入された。
【場所・アクセス・地図】
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