【藩名】
伊勢亀山藩
【説明】
享保2年(1717年)11月1日、「松平乗邑」が山城淀藩へ移封となる。その後「板倉重治」が入封するが第2代藩主「板倉勝澄」の時に「石川総慶」と領地交代という形で備中松山藩へ移封となった。こうして「石川総慶」が6万石で入封したことで藩主家の支配が定着した。この石川氏は「徳川家康」に仕えた「石川数正」の系統ではなく、数正の叔父「石川家成」の系統である。
慶応4年(1868年)に勃発した「戊辰戦争」では、譜代大名のために藩論が尊皇派と佐幕派に分裂して対立した。はじめ旧幕府側に与したが、やがて新政府軍に恭順した。その後は桑名藩や鳥羽藩への出兵や東征に藩兵を派兵した。
明治2年(1869年)の版籍奉還で最後の藩主「石川成之」は亀山藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日、「廃藩置県」で伊勢亀山藩は廃藩となり、亀山県、安濃津県を経て三重県に編入された。
【場所・アクセス・地図】
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