【藩名】
高富藩
【説明】
第10代藩主「本庄道美」が当主の時に藩財政は完全に破綻し、慶応4年(1868年)には藩内で打ちこわし、百姓一揆が起こった。この頃、高富藩は20万7400両もの借財を抱えていた。藩内の庄屋をはじめとする豪農にも多額の借財があったが、その大半は後の版籍奉還で証文のまま終わっている。
石高は1万石だが知行地の本領が美濃、分領は遠く関東にあるという事情も藩財政の窮乏の原因であるようである。戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順している。明治2年(1869年)の「版籍奉還」で道美は高富藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で高富藩は廃藩し高富県となった。明治5年(1872年)、高富県は岐阜県に編入された。
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