岩村藩/松平家3万石:松平乗命 新政府軍に恭順し函館奉行所にも藩士を派遣した岩村藩【幕末維新写真館】

岩村藩/場所・アクセス・地図 松平家3万石:松平乗命 新政府軍に恭順し函館奉行所にも藩士を派遣した岩村藩【幕末維新写真館】

【藩名】
岩村藩

【説明】
元禄15年(1702年)9月7日、信濃小諸藩より「松平乗寿」の孫「松平乗紀」が2万石で入封する。歴代藩主の多くが奏者番・寺社奉行など幕府の要職を歴任しており、そのために第4代藩主「松平乗賢」は1万石の加増を受けて岩村藩は3万石となった。しかし、その内の5,276石が駿河国の15ケ村で横内村に横内陣屋を設置し代官を派遣した。

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なお、大給松平家は学問を奨励し、松平乗紀は藩校・文武所を創設した。松平乗薀の3男「松平乗衡」は大学頭である「林信敬」の養子となり、後に林氏を継いで林述斎(林衡)となる。

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安政4年(1858年)、箱館奉行所の要請により足立岩次ら藩士を蝦夷地へ派遣。近代北海道初の陶磁器生産である箱館焼の生産を開始するが数年で失敗。明治2年(1869年)、最後の藩主である「松平乗命」は「版籍奉還」により岩村藩知事に任じられる。明治4年(1871年)の廃藩置県により、岩村藩は廃藩となり、岩村県を経て岐阜県に編入された。

【場所・アクセス・地図】






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