【藩名】
清洲藩
【説明】
「福島正則」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に与して大きな戦功を挙げた。この戦功により、正則は「徳川家康」より安芸広島藩49万8200石に加増移封された。代わって尾張清洲には、「関ヶ原の戦い」で「井伊直政」と共に抜け駆けの先鋒を果たし、西軍の「島津豊久」を討ち取るという武功を挙げた家康の四男「松平忠吉」が62万石を与えられ清洲藩が立藩した。
しかし忠吉は慶長12年(1607年)3月5日、江戸の芝浦で労咳のために急死する。忠吉には継嗣が無かったため、忠吉の異母弟「義利(義直)」が清洲城へ入封するが、義直は新たに名古屋城を築城した。そして、藩庁や城下町を移設し名古屋藩(尾張藩)を立藩する。
清洲城は名古屋城の資材として転用され廃城廃藩となった。義直から始まる系統が徳川氏御三家のひとつ尾張徳川家となった。
【場所・アクセス・地図】
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