【藩名】
犬山藩(尾張藩附家老)
【説明】
元和3年(1617年)、「徳川義直」の附家老として「成瀬正成」が3万石で入封し、尾張藩を補佐する成瀬氏犬山藩が立藩された。第3代当主「成瀬正親」の時代に5000石の加増を受けて合計3万5000石を支配することになり、尾張藩最大の重臣となった。なお、犬山城は「成瀬吉次」の治世で城下町と城が整備され、最古の現存天守を持つ城として国宝天守に指定されている。
成瀬氏の身分はあくまで尾張藩徳川家を補佐する重臣という立場であり、独立した大名として見られることはなかった。第7代当主「成瀬正寿」や第8代当主「成瀬正住」は尾張藩から独立しようと企てたが、いずれも失敗している。慶応4年(1868年)1月、幕末になると「徳川慶喜」の「大政奉還」により新政府が樹立され、成瀬氏は正式に犬山藩主となり尾張藩から独立した大名となった。
明治2年(1869年)、最後の藩主「成瀬正肥」は「版籍奉還」により犬山藩知事に任じられ、明治4年(1871年)の「廃藩置県」で犬山藩は廃藩となり犬山県が成立し、11月22日には名古屋県に合併された。後に名古屋県は愛知県と改名され、額田県と合併する。
【場所・アクセス・地図】
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