【藩名】
足助藩
【説明】
徳川四天王で有名な「本多忠勝」の孫「本多忠義」の五男である「本多忠周」は加茂郡足助村に陣屋を置き7000石の交代寄合となった。忠周は天和3年(1683年)に寺社奉行となったことから3000石の加増を受け、これにより合計1万石の大名として足助藩を立藩した。
しかし貞享4年(1687年)、勤務怠慢から寺社奉行を免職され、2年後の元禄2年(1689年)には加増分の3000石を没収されて再び7000石の旗本寄合となったため足助藩は廃藩された。なお、旗本寄合本多氏は幕末まで存続し最後の当主は「本多忠陳」となる。
【場所・アクセス・地図】
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