【藩名】
田原藩
【説明】
第11代藩主「三宅康直」の時代である天保3年(1832年)、家老に登用された「渡辺崋山」は有能な人材登用のために各高分合制の給与改革、備蓄制度の義倉制度の整備などを行ない、天保の大飢饉から藩を救った。
天保12年(1841年)、崋山の死後には農政家の「大蔵永常」などによる藩政改革、財政改革が行なわれ、「村上範致」による軍制改革も行われて大砲の鋳造や洋式砲術の導入を推進した。
幕末の動乱期は「村上範致」の尽力によりうまく難局を乗り切り家名存続を果たした。
第12代藩主「三宅康保」の時、明治2年(1869年)6月、「版籍奉還」で康保は田原藩知事に任命され、明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」で田原藩は廃藩となり、田原県を経て額田県に編入され、後に愛知県に編入された。なお、三宅家の江戸藩邸前の坂は最高裁判所の別名「三宅坂」である。
【場所・アクセス・地図】
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