【藩名】
岡崎藩
【説明】
岡崎藩第5代藩主「本多忠民」は財政改革を行ない、農村有力者と協力して藩政再建に当たった。一方で忠民は京都所司代・老中として幕末の幕政に参与し、公武合体に尽力した。しかしこのため、藩内では佐幕派と尊皇派で争い、脱藩者も出る騒動が起こった。
岡崎藩の佐幕派は「人見勝太郎」「伊庭八郎」「林昌之助」率いる遊撃隊に触発されて脱藩者が相次ぎ、彼らと行動を共にした。第6代藩主「本多忠直」は明治2年(1869年)の「版籍奉還」にて岡崎藩知事に任じられ、明治4年(1871年)の廃藩置県で岡崎藩は廃藩となった。
【場所・アクセス・地図】
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