【藩名】
重原藩
【説明】
重原藩領は元々刈谷藩の領内だったが、寛政2年(1790年)、刈谷藩第3代藩主「土井利制」の時代に「寛政一揆」が発生した。この責任を取らされて1万3000石を陸奥福島藩との間で領地替えという珍しい処罰を課せられた。
福島藩主「板倉勝尚」は「戊辰戦争」で「奥羽越列藩同盟」に加盟し新政府に反抗したことから罪に問われ、明治元年(1868年)12月に3万石の所領の内、2000石を削減され、さらに強制的に隠居することを命じられた。
家督を継いだ「板倉勝達」は寛政4年(1792年)から三河国内にあった福島藩飛び地に移封となり、これに福島藩旧領と上総国内にある所領を合わせて2万8000石の藩主として、新たに重原藩を立藩する。
明治2年(1869年)の「版籍奉還」で重原藩知事に任命された勝達は、行政機構の改革をはじめ、藩校・教導館を養正館に改称して教育の普及に尽力した。明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」により重原藩は廃藩となった。そして重原県、額田県を経て、愛知県に編入された。
【場所・アクセス・地図】
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