【藩名】
駿府藩(静岡藩)
【説明】
慶応3年(1867年)の「大政奉還」により、江戸幕府は滅亡した。慶応4年(1868年)1月の「鳥羽・伏見の戦い」で徳川幕府は新政府軍に敗れ、第15代将軍「徳川慶喜」は朝敵となる。その後新政府軍は東海道鎮撫使、東山道鎮撫使、北陸鎮撫使などの軍を発し、各地で旧幕府軍を破りながら江戸へと進撃した。西郷隆盛と勝海舟の会談により「江戸城無血開城」が決まったのはこの頃である。
徳川家の処遇について諸藩で様々な意見が出されたが、新政府の中核の1人である「三条実美」は徳川家の存続に尽力し、慶喜に代わって「田安亀之助(徳川家達)」を相続者とし、駿河・遠江・三河で70万石を与え家名存続を認めた。そして静岡藩が立藩された。
明治2年(1869年)6月、府中(駿府)藩から静岡藩と改名し、直後の6月17日、家達は「版籍奉還」により静岡藩知事に任じられた。明治4年(1871年)7月14日の「廃藩置県」で静岡藩は廃藩となった。
なお、徳川宗家の駿河移封によりそれまで駿河・遠江・三河に所領をもっていた小藩の多くは、旗本領が多かった上総国へ替地を与えられた。
【場所・アクセス・地図】
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