【藩名】
高遠藩
【説明】
鳥居家が改易となり、高遠藩領はしばらく幕府直轄地となっていた。元禄4年(1691年)、河内富田林藩より「内藤清枚」が3万3千石で入封し再び高遠藩が立藩された。第2代藩主「頼卿」の時代から藩の財政難が始まり、藩政改革が試みられた。
第7代藩主「内藤頼寧」は産物会所設置による産業奨励、学問の奨励、新田開発計画、藩直営の桑園経営などに手腕を発揮して藩政改革に成功を収めた。幕政においても日米関係の上申書を提出したり、兵備を西洋式に改変して藩士に訓練させたり開明的な藩主だった。
安政6年(1859年)、最後の藩主となった「内藤頼直」は藩校である進徳館の設立や長州征伐への参加で活躍した。慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」ではいち早く新政府軍に与し、「北越戦争」「会津戦争」に参戦した。
明治2年(1869年)の「版籍奉還」で内藤頼直は高遠藩知事となる。そして明治4年(1871年)の廃藩置県で高遠藩は廃藩となり高遠県を経て、同年12月には筑摩県に編入された。
【場所・アクセス・地図】
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