- 全藩, 北陸・信越地方
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【藩名】
諏訪藩(高島藩)
【説明】
日根野弘就の子・高吉が諏訪氏の移った同年に入封する。そして高吉の子・吉明が家督を継いだが、慶長6年(1601年)、「日根野弘就」の孫「日根野吉明」が下野壬生藩に移封となり、「諏訪頼忠」の子「諏訪頼水」が旧領高島に2万7千石で復帰した。
「大坂の陣」に参陣した第2代藩主「諏訪忠恒」はその功績により元和4年(1618年)に5千石を加増され、3万2千石となる。第3代藩主「諏訪忠晴」の時代に忠晴の弟の「諏訪頼蔭」と「諏訪頼久」にそれぞれ1千石を分与して諏訪藩は3万石となった。以後、諏訪氏の統治で明治維新に至った。
天保7年(1836年)の天保騒動では甲府勤番の命を受けて一揆鎮圧のために甲州に派兵する。元治元年(1864年)11月の「天狗党の乱」では松本藩兵と共同して中山道の和田峠で天狗党と交戦したが敗北する。
明治元年(1868年)に勃発した「戊辰戦争」ではいち早く「新政府軍」に恭順し、元新選組から構成された「甲陽鎮撫隊」と「甲州勝沼の戦い」に参戦、その後も北越戦争や会津戦争に参戦した。諏訪藩(高島藩)は明治4年(1871年)の「廃藩置県」により高島県となり、その後、筑摩県を経て長野県に編入された。
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