【藩名】
松本藩
【説明】
幕末の松本藩は、安政2年(1855年)藩主「松平光則」によって財政・軍制を中心とした藩政改革が行なわれた。「天狗党の乱」では元治元年(1864年)11月に諏訪藩兵と共に中山道の和田峠で天狗党と交戦(樋橋戦争)したが敗北した。長州征討でも第一次、第二次と幕府方として参戦しているが、いずれも後揃えでの参加であったため戦闘には至っていない。
しかし、この一連の戦争で松本藩財政はいよいよ逼迫した。慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では佐幕か勤皇か、藩論の一致を見なかったが、東征軍が松本城に接近すると勤皇へと舵を取り3万両を献上して居順した。
その後は新政府軍の一員として「宇都宮城の戦い」や北越戦争・会津戦争に参戦した。明治2年(1869年)2月25日、「版籍奉還」にて「松平光則」は松本藩知事となり、明治4年(1871年)の「廃藩置県」により松本藩は廃藩となった。
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【松本城(深志城)・場所・アクセス】
〒390-0873 長野県松本市丸の内4-1
【松本城(深志城)地図】
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