飯山藩/本多家2万石:本多助寵 旧幕府軍の衝鋒隊に城下を席捲された飯山藩【幕末維新写真館】

飯山藩/場所・アクセス・地図 本多家2万石:本多助寵 旧幕府軍の衝鋒隊に城下を席捲された飯山藩【幕末維新写真館】

【藩名】
飯山藩

【説明】
慶長8年(1603年)、「松平忠輝」が北信濃4郡を支配したとき、その付属大名である「皆川広照」が4万石で飯山に入ったことが、飯山藩の始まりである。享保2年(1717年)に「青山幸秀」が丹後宮津藩に移封され、代わって越後糸魚川藩より「本多助芳」が2万石で入封する。助芳は1万石の加増を受けて2万石になったが、実質的には千曲川の水害のために糸魚川1万石よりも収入が少なかった。

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このため、享保9年(1724年)に替え地が用意された。また藩領を城下・外様組・川辺組・山之内組に分けて支配した。明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では、越後高田藩から旧幕府軍の「衝鋒隊」が飯山藩領内に侵入し城下は戦火に見舞われた。

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その後は「北越戦争」や「会津戦争」に参戦した。翌年、第9代藩主「本多助寵」は「版籍奉還」により飯山藩知事となり、明治4年(1871年)の「廃藩置県」により、飯山藩は廃藩。同年末には長野県に編入された。

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