【藩名】
富山藩(加賀藩支藩)
【説明】
寛永16年(1639年)、加賀藩第3代藩主「前田利常(前田利長の弟)」が隠居するとき、次男の「前田利次」に富山10万石を、三男の「前田利治」に大聖寺7万石の分与し、富山藩と大聖寺藩が立藩した。
江戸後期から幕末には財政問題と権力争い、御家騒動などが勃発し宗藩加賀藩の介入を招いた。最後の藩主となった第13代「前田利同」を加賀藩宗家から迎え、また加賀藩からの付家老を受け入れた。
明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」によって富山県となった。同年11月に旧加賀藩領の礪波郡と新川郡を併せて新川県となり、明治5年(1872年)9月には射水郡も編入して越中が一つの富山県となる。
幕末の富山藩は宗家と行動をともにし、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗戦すると新政府軍へ恭順したと考えられる。
【場所・アクセス・地図】
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