【藩名】
村松藩
【説明】
幕末期の村松藩内では尊王論が台頭し、尊王攘夷と軍制改革を主張する一派と対立し、慶応2年(1866年)11月に「村松七士事件(尊王攘夷派7名を保守派が処刑した事件)」が起こるなど、藩内は混乱を極めた。
このため「戊辰戦争」に際して、新政府に与するべきと主張する正義党の「近藤安五郎」を中心とした一派と、第11代藩主「堀直賀」を中心とした保守的な佐幕派に藩論が分裂した。藩主が「奥羽越列藩同盟」に参加し、新政府軍からの攻撃を受けて米沢藩に逃れると、安五郎は第9代藩主「堀直央」の末子に当たる「堀直弘」を新藩主として擁立して即座に新政府に降伏した。
このため、村松藩は所領を安堵された。明治4年(1871年)の「廃藩置県」により村松県となり、同年末には新潟県に併呑された。
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