【藩名】
甲府藩
【説明】
将軍綱吉政権下で有力となった側用人「柳沢吉保」が15万石で甲府藩に入封する。甲斐城には将軍の一族以外が入るという前例は無く、異例中の異例であり、それだけ将軍からの信任を得ていたことになる。
「柳沢吉保」隠居後は、吉保の長男「柳沢吉里」が家督を継ぐが、享保9年(1724年)大和国郡山藩に移封となり甲府藩は廃藩。以後、甲斐城は「甲府勤番」の支配となり天領となった。幕末の動乱期に入ると甲府勤番を廃止し「甲府城代」を設置した。
戊辰戦争では東山道鎮撫使参謀「板垣退助」率いる土佐藩を中心とした新政府軍と、近藤勇や土方歳三率いる「甲陽鎮撫隊」との間で戦があり(甲州勝沼の戦い)、近藤らは板垣退助に惨敗し江戸へと退却する。甲府城は新政府軍が奪取し、そのまま明治時代を迎えた。
【場所・アクセス・地図】
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。