【藩名】
深見藩
【説明】
「坂本重治」は第5代将軍「徳川綱吉」のもとで大目付・寺社奉行などを歴任したため、天和2年(1682年)10月、1万石の大名として「深見藩」を立藩した。しかし大名として陣屋を構えることはなかった。翌年から重治は領内の検地を実施し、さらに35ヶ条からなる藩法を制定して藩政の基礎を固めた。
しかし貞享4年(1687年)5月、「本多忠周」と共に寺社奉行として怠慢があったことを綱吉より咎められて奉行職罷免の上、蟄居を命じられた。そして所領1万石のうち加増分7800石を没収されて2200石となり、深見藩はわずか5年足らずの短期間で終焉し元の旗本になった。よって陣屋も建てられなかった。
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