【藩名】
館山藩
【説明】
寛政元年(1789年)7月、「稲葉正明」は隠居して嫡子の「稲葉正武」が後を継いだ。そして寛政3年(1791年)、城山の南麓に「館山陣屋」が建設されている。文化9年(1812年)3月には家督を嫡子「稲葉正盛」に譲ったが、正盛は文政2年(1819年)12月、大坂加番中に29歳の若さで死去し、翌年に正盛の長男「稲葉正巳」が館山藩主となる。
正巳は有能な藩主であり、幕末期の動乱の中で「徳川慶喜」の信任を得て若年寄、老中格、海軍総裁、陸軍奉行、大番頭、講武所奉行などを歴任し、幕府海軍の創設や外交問題などに大きな功を挙げた。明治元年(1868年)に勃発した「戊辰戦争」では、幕府の役職を全て辞して隠退し、家督を「稲葉正善」に譲った。
その上で「新政府軍」に恭順しようとしたが、「榎本武揚」率いる旧幕府海軍が品川沖から館山湾へ侵攻し、陸では旧幕府遊撃隊(人見勝太郎・伊庭八郎)や上総請西藩兵(林忠崇)がそれぞれ侵攻してくるなど苦難を極めた。しかし正巳は旧幕府軍へ物資を送るに留めるなどうまくこれを乗り切り新政府軍に恭順した。
稲葉正善は翌年の「版籍奉還」で藩知事となるが、明治4年(1871年)の廃藩置県で館山藩は廃されて館山県となり、正善は県知事となった。同年11月14日、館山県は木更津県に編入されてその幕を閉じた。
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