六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】

六浦藩(武州金沢藩)/場所・アクセス・地図 米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】

【藩名】
六浦藩(武州金沢藩)

【説明】
金沢文庫で知られる久良岐郡金沢付近の六浦に陣屋を置いたため「武州金沢藩」や「武蔵金沢藩」とも呼ばれる。藩庁は六浦陣屋に置かれた。慶応3年(1867年)末、横須賀製鉄所の警護を務めたが、慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」ではいち早く新政府軍に恭順した。

明治2年(1869年)6月の「版籍奉還」を受けて金沢藩知事任命後に「六浦藩」を正式名称とした(加賀金沢藩との同名の為)。明治4年(1871年)、7月14日の「廃藩置県」により六浦藩は廃されて六浦県となった。

【場所・アクセス・地図】






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