【藩名】
岡部藩
【説明】
安部氏の歴代藩主の多くは、大坂定番・加番などを務めている。第7代藩主「安部信允」も大坂定番を務め、藩校「就将館」を設置している。幕末の藩主「安部信宝」は「高島秋帆」の身柄を預かり、また、大坂城や二条城の定番を務め上げたが、文久3年(1863年)7月6日に死去した。
その後を継いだ岡部藩主「安部信発」は、水戸藩の「武田耕雲斎」「藤田小四郎」らによる「天狗党の乱」で、岡部領を通過しようとした天狗党と交戦し、武功を挙げている。慶応4年(1868年)3月には勅命により上洛し「新政府軍」に恭順した。
安部氏は武蔵国岡部を本拠としていたが、所領が各地に分散していた。2万石余りの所領の内、本国武蔵と上野には合わせても5千石程度の所領しかなく、飛地である摂津に約8千石、三河に約7千石という所領を保持していた。
慶応4年(1868年)に明治新政府より所領安堵を受けた際に、藩庁を武蔵国岡部から三河国半原へと移転することが認められて、半原藩と名称を変えた。そして岡部藩は廃藩となった。
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