【藩名】
川越藩
【説明】
幕末の藩主「松平康英」は慶応4年(1868年)、新政府軍に恭順することで藩論をまとめ、老中を辞する。その後恭順の意を示そうと上洛するが、新政府軍に近江国の飛地領2万石を没収の上で謹慎処分にされた。康英は川越城の堀を埋め、新政府軍にひたすら恭順することで川越の街の戦火を回避した。
川越藩は「上野戦争」から離脱した彰義隊の分派の「振武隊」を能仁寺の戦い(飯能戦争)で掃討した。明治2年(1869年)、康英は所領を守るため、家督を養子の康載に譲り隠居した。
「松平康載」は川越藩知事となり、明治4年(1871年)の「廃藩置県」に伴い川越藩は川越県となった。以後、県庁が置かれた入間県・熊谷県を経て埼玉県に編入された。
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