【藩名】
生実藩
【説明】
「生実」は元々「小弓」と書かれ、戦国時代初期に古河公方の後継者争いに敗れた「足利義明」が千葉氏の重臣原氏の居城だった「小弓城」を奪って主城とし「小弓公方」を名乗った。
小弓公方「足利義明」は真里谷氏や里美氏を従えて房総一帯を制圧したが、第一次国府台合戦で「北条氏綱」に討ち取られ滅亡した。後に原氏が旧領に復帰して地名を「生実」と改めたが、豊臣秀吉の北条征伐で北条氏に従い没落した。
江戸時代を通じて様々な城主が変わったが、幕末時の藩主「森川俊方」は慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」で、家臣を上京させて新政府軍に恭順を誓い、上洛した。その後帰国の許可を得て江戸に入り、江戸市中取締役を務めている。
明治2年(1869年)6月24日の「版籍奉還」で生実藩知事に任じられ、明治4年(1871年)の「廃藩置県」で郡県制度となり生実藩は廃藩となった。
【場所・アクセス・地図】
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