【藩名】
小見川藩
【説明】
幕末期の小見川藩では慶応4年(1868年)3月、脱藩藩士による蜂起が起こるなどして藩内は混乱した。小見川藩としては佐幕派として芝増上寺の警護を務めていたが、慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では官軍に協力している。
最後の藩主「内田正学」は明治2年(1868年)の版籍奉還で藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で小見川藩は廃藩となる。その後、小見川県や新治県を経て、千葉県に編入された。
明治10年(1877年)の「西南戦争」では、内田正学が東伏見宮嘉彰親王に従って三等中警部心得として参戦する。明治25年(1892年)には陸軍大尉となり、明治27年(1894年)の「日清戦争」では歩兵第2連隊副官として参戦した経歴の持ち主である。
明治30年(1897年)7月には貴族院議員となり、明治43年(1910年)7月22日に死去。享年64。
【場所・アクセス・地図】
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