【藩名】
関宿藩
【説明】
幕末の藩主「久世広文」は若年のため、藩政は家臣団によって行なわれ、農兵の徴集や「天狗党の乱」の鎮圧などに参加している。慶応元年(1865年)2月15日、将軍徳川家茂に拝謁し、同年12月25日に従五位下出雲守に叙位任官する。
「戊辰戦争」が勃発すると佐幕派として江戸城を守備したが、藩内はその主導権をめぐって佐幕派と尊王派に分裂した。佐幕派は江戸にあった広文を擁して深川に移し、これを奪取しようとする尊王派と争う有様だったが、結果、佐幕派が主導権をとる。
佐幕派は「万宇隊」を結成するなど上野山の「彰義隊」と協力して新政府軍と戦ったが、この戦に敗れた広文らは下総佐倉藩を頼って逃れる。後に帰国したが謹慎を命じられた。家臣による助命の嘆願運動もあって、明治元年(1868年)12月7日、5000石の減封と強制隠居の処分をうけ、官位剥奪などの処分で許された。
【場所・アクセス・地図】
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