【藩名】
龍ヶ崎藩
【説明】
龍ヶ崎藩の前身は長瀞藩で出羽国に本拠を置いたため、後の戊辰戦争(奥羽戦争)では戦場となり、戦火によって「長瀞陣屋」と町を失った。明治2年(1869年)に版籍を奉還して長瀞藩知事に就任した前長瀞藩主「米津政敏」は、領地に飛び地が多かったため、長瀞から上総国の大網村へ移って大網藩を立藩した。
さらに政敏は分散した自領を一ヶ所にまとめにするよう新政府に嘆願した。新政府は明治3年(1870年)5月、まず出羽国の領地を山形県に組み込んで、替地として武蔵国埼玉郡と上総国山辺郡を大網藩に譲渡するよう通達。さらに明治4年、大網村の「宮谷藩」の移封が決まり、改めて大網藩には常陸国河内郡龍ヶ崎村を与えられることになり、これをもって合わせて1万1000石の「龍ヶ崎藩」が成立する。
明治4年(1871年)、廃藩置県により政敏は藩知事を罷免となり、ここに龍ヶ崎藩は廃藩し龍ヶ崎県となった。
【場所・アクセス・地図】
〒301-0834 茨城県龍ケ崎市古城3087(県立竜ヶ崎第二高等学校)
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