【藩名】
常陸北条藩
【説明】
下総国佐倉藩主「堀田正盛」の四男「堀田正英」は、父が将軍に殉死した後その遺領のうち5000石を分与された。その後は「徳川家綱」に仕えて御小姓組番頭、書院番頭、大番頭と次第に累進して3000石を加増された。
そして天和元年(1681年)には若年寄となり、5000石を加増されたことで都合1万3000石の大名となり、常陸北条藩を立藩した。正英はその後も奏者番になり幕府の役職を歴任し、元禄元年(1688年)に死去した。
正英には嫡男「正親」、次男「正矩」、三男「正章」がいたが、正英が生前に幕府に提出していた家督相続願いには、正矩と正章については記されていたにもかかわらず、肝心の正親についてはなぜか言及がなかったために世子として認められず、届出不備をもって改易とされてしまった。
堀田家の旧領1万3000石のうち、8000石は収公されて公儀御料となったが、3000石は正矩が、2000石は正章が遺領相続を認められ、それぞれ旗本として家名存続が許された。
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