【藩名】
青柳藩
【説明】
慶長19年(1614年)、槍奉行であった「近藤秀用」は相模国内において新たに1万石を与えられ、従来の上野国邑楽郡青柳5千石と合わせて1万千石の大名として諸侯に列し青柳藩を立藩した。翌年、秀用は次男の「近藤用可」に5千石を分与した。元和5年(1619年)、所領を遠江国引佐・豊田・長上など五郡に移されたため、近藤氏は井伊谷藩へと藩庁を移し青柳藩は廃藩となった。
【場所・アクセス・地図】
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【藩名】
青柳藩
【説明】
慶長19年(1614年)、槍奉行であった「近藤秀用」は相模国内において新たに1万石を与えられ、従来の上野国邑楽郡青柳5千石と合わせて1万千石の大名として諸侯に列し青柳藩を立藩した。翌年、秀用は次男の「近藤用可」に5千石を分与した。元和5年(1619年)、所領を遠江国引佐・豊田・長上など五郡に移されたため、近藤氏は井伊谷藩へと藩庁を移し青柳藩は廃藩となった。
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