【藩名】
総社藩
【説明】
後北条氏の遺臣で徳川家の譜代家臣となった「秋元長朝」が1万石で入った。長朝は地元の領民などの助力を得て総社に新城築城と城下町建設を計画した。これが「総社町」の建設である。さらに新田開発や用水路の開削事業、検地などにも尽力し、藩の支配体制を早くから固めた。
寛永5年(1628年)8月29日、長朝は83歳で死去。跡を嫡子「秋元泰朝」が継いだ。寛永10年(1633年)2月、泰朝は1万8000石で甲斐谷村藩に加増移封され、ここに総社藩は廃藩となり、その所領は高崎藩に預けられていた「徳川忠長」への小遣い料として「安藤重長」に与えられた。
【場所・アクセス・地図】
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