【藩名】
沼田藩
【説明】
第11代沼田藩主となった「土岐頼之」は、寛政の改革で有名な「松平定信」の孫であったが、徳川幕府とはあまり深く関わらずにいた。慶応3年(1867年)4月に家督を「土岐頼知」に譲って隠居したが、依然として藩への影響力を持ち、翌年に勃発した「戊辰戦争」では桑名藩や会津藩と姻戚関係にありながら新政府軍の側についた。
新政府軍が沼田城まで進出するとこれを迎え入れ恭順の意を示し、「三国峠の戦い」で会津藩兵と戦った。
明治2年(1869年)6月、「土岐頼知」は版籍奉還して藩知事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で沼田藩は廃藩となり、沼田県に、次いで群馬県となった。そして、土岐氏は明治17年(1884年)の華族令により、子爵に列せられた。
【場所・アクセス・地図】
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